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更新日:2024年2月15日

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平和へのメッセージ -令和5年度-

令和5年度 戦没者を追悼し平和を祈念する式典で発表された、静岡市立長田南小学校、清水三保第一小学校、観山中学校のみなさんの平和へのメッセージを紹介します。

長田南小学校

長田南小学校の6年生は、国語の学習で「平和の砦を築く」を読みました。子どもたちは、改めて戦争や原爆の恐ろしさを知ることを通し、戦争や原爆は二度と繰り返してはいけないものであるという気持ちになりました。そして、平和な社会をつくるために、自分たちには何ができるのかを考え、文章にまとめました。平和へのメッセージでは、代表者が作文を発表しました。

6年 四之宮 煌さん「僕たちにできること」

国語の教科書に載っていた「平和のとりでを築く」という話を読みました。戦争の悲惨さを物語っている原爆ドームを見て、戦争は二度と起こしてはいけないと思いました。Youtubeで「第二次世界大戦」と調べたら、ドイツなどがポーランドに攻め込んだのがきっかけで第二次世界大戦という悲惨な出来事が始まったと書いてありました。日本は原子爆弾を二発も落とされ、大災害レベルの被害を受けました。ぼくは二度とこんな被害を出してはいけないと思いました。

世界は日本で起こった悲惨な出来事を忘れているような気がします。しかし今も戦争は起きています。また、日本では原子爆弾が使われ、多くの人が命を落としました。だからぼくは絶対原子爆弾は使ってはいけないと思います。以上のことから今のぼくができることを考えました。

まずは、原爆で起きたことを後世に伝えることです。原爆で起きた悲惨な出来事を、知らない人たちに教えるべきだと思います。今も原爆の悲惨さを伝えている人達がいます。それをぼくたちが次の世代に次の世代にとタスキをつないでいくことが大事だと思います。原爆で起きたことを後世に伝える事で、悲惨さを知った人は、原爆を使わないということに賛成すると思います。そして他の国が使いそうになった時、止められる確率が上がると考えます。つまり、原爆で起きたことを忘れずに、頭の片隅でも、覚えていることが大切です。

次にできそうなことは、静岡で起きた事も学校などで知ることです。日本の戦争で被害を受けたといえば、広島や長崎の原爆が落とされたことを想像するかもしれません。しかし、静岡大空襲や、清水空襲、空襲による飢饉など、静岡でも空襲が起きています。だから、静岡でも起きたことをまずは知り、身近な人や、友達に広めて、静岡で起きた戦争の事を、伝えて、伝えて、その知った人が、少しでも広めてくれたら、多くの人が戦争に関心を持つようになってくれると思います。静岡への空襲で、何千人もの命を奪い取られ、悲惨な出来事が起きました。今ぼくが生きているのは、ぼくのひいおじいちゃんたちが生き残ってくれて、おばあちゃんが、パパを産んでくれたから、ママがぼくを産んでくれたから、ぼくは今、生きています。戦争はこんな悲惨な出来事なのに、なぜそんなことが今も起きているのでしょうか。世界は、過去の過ちを、忘れてはいけません。

最後に、ぼくは、小さな争いからなくすべきだと考えます。なぜなら、些細な喧嘩でも、誰かが喧嘩の片方に味方したら、その人の事を嫌いな人が、もう片方に参加して、大喧嘩になってしまうからです。そしてそれが戦争につながってしまうと考えます。戦争は悲惨なもので、直接関係のない何百万人もの、大勢の人が亡くなってしまいます。戦争をなくすために、今ぼくたちができるのは、喧嘩をしないことです。もししていても、止めて、やめさせることで、戦争の原因をなくすことができるかもしれません。まずは小さなことから始めて、その輪を大きくして喧嘩のない世の中にすることが大切だと考えます。そして、この世界を争いの無い平和な世界にしたいです。

清水三保第一小学校

清水三保第一小学校の6年生は、近隣のデイサービス施設「そなーれ」に通っている4人のお年寄りから、静岡市内で体験した戦争のお話を聞きました。みなさん、九十歳をこえていましたが、戦争のときのことをしっかり覚えていて、貴重なお話が聞けました。自分たちも、質問をたくさんしました。その感想をメッセージとしてまとめました。
平和へのメッセージでは、代表者4人が発表しました。

6年 窪田 悠人さん 「戦争体験を聞いて」

清水三保第一小学校の近所には、お年寄りのデイサービスの施設である「そなーれ」があります。ぼくたちの学校の六年生は毎年、「そなーれ」に通っているお年寄りから戦争のお話を聞く会を開いています。お話を聞く会の前には、戦争体験をまとめた絵本もいただきました。その本には、戦争のころの一人一人の人生のことがのっていました。
そして、六月二十六日に、四人のお年寄りが学校に来てくださいました。みなさん、九十歳をこえているお年寄りですが、戦争のときのことをしっかり覚えていて、貴重なお話が聞けました。ぼくたちも、質問をたくさんしました。
ぼくがもし戦争の時代に生まれていたら、混乱して何もできないと思いました。自分の人生なのに、自由にできないなんて、とても悲しいことです。

6年 伊藤 遥輝さん 「平和への願い」

僕は、徴兵令が強制的に出されたことや戦争に行くことが決まったとき「おめでとうございます。」と言われたことなどを聞いて、日本にこんな時代があったことを想像しました。そして、さみしくなりました。
また僕は、祖母に戦争の話を聞いたこともあります。空襲警報が鳴れば逃げなくてはいけなかったそうです。発熱で目が見えなくなった人や、毎日のようになる警報で、病院に行けず病気が全く治らなかった人もいたそうです。
昔のような世の中は嫌です。僕は今、学校へ行き、授業をして、友だちと楽しく遊ぶことができています。これは日本国憲法の平和主義にもつながっています。今世の中ではウクライナとロシアが戦争でつらい思いをしています。いつの日かみんなで手をとり合って全世界が平和な世の中になってほしいと思います。

6年 宮城島 愛生さん 「平和への願い」

私は、「食事中でも警報がなれば、防空壕に避難しなければならない。」「夜中に空襲が多いから、眠れない日が続く。」「配給される食べ物は、牛のエサになるようなものしかもらえない。」という言葉が心に残りました。その時の話し方や目を見て、本当に切実な思いで話されていることを感じました。常にいつ自分が死んでしまうか分からないという思いだったことも分かりました。
戦争は本当に何もいいことはありません。辛いことしかありません。
今後、日本が二度と戦争を起こしてほしくないと心の底から思っています。

6年 鵜沢 希海さん 「平和な世界にするために」

戦争体験のお話のなかで、お一人の方が、「国境自体をなくしてしまえば、戦争自体やらなくて平和になると思う。」とおっしゃいました。私は、戦争をなくす方法を考えることが大切だと思いました。このまま何も考えなければ、戦争はまた起こってしまいます。すぐに変えることはできなくても、少しずつ変えることはできると思います。
そのためには、日本だけでなく、海外の人たちとの協力が不可欠です。政治の場で会議をして、知恵を出し合いみんなが望んでいる平和な世界になっていくように、願っています。

観山中学校

観山中学校の3年生は、社会科の授業で、太平洋戦争について学びました。戦争は「世界の遠くの出来事」「とても昔のできごと」「広島や長崎のこと」だと考えていた自分たちにとって、「静岡市」にも甚大な戦争被害があったことを知り、衝撃を受けました。今回、授業で学んだことを、「戦争」「平和」へのメッセージとしてまとめました。
平和へのメッセージでは、代表者3人が発表しました。

3年 森橋 あんずさん

「たった1つの間違いで、戦争が起こってしまい、国民や時間、国同士の信頼をもうばってしまう戦争は、もう二度と起こしたくないと感じました。集団疎開では小さな子供も親と離れ、毎日いつ爆弾が落ちてくるかわからない状況にびくびくして過ごしていたと思うと、今わたしたちは1日3食のごはんを食べ、毎日学校へ行き、勉強して家に帰る、当たり前だと思っていた日常が、実はものすごく貴重な毎日だなと強く思いました。私たちは戦争を体験していませんが、授業を通して戦争の恐ろしさを実感したので、それをこれから先も人々に伝えることができるようなお手伝いをしたいと思います。戦争で亡くなった人もいる中、家族やお友達と毎日を過ごせることにも感謝して、ありがとうやごめんなさいを大切にちゃんと伝えたいと思いました。」

「私のひいおばあちゃんは戦争を体験していて、当時、まだ10歳だそうでした。静岡大空襲でやけどをおい、無我夢中で川まで走ったそうです。そのせいか、昔甲子園の際に鳴るサイレンンに似た音で急に飛び起きて、「○○ちゃん、逃げて!」と大声で私に言ってきました。当時の私は何を言っているのかさっぱり分からずこんわくしていましたが、今では本当に怖かったんだろうなとしみじみ思いました。戦争は終わるけれど、体験した人の記憶には必ず恐怖と悲しみがずっと残っています。だから絶対に戦争はだめだと私は思います。」

3年 田口 瑛大さん

「私は戦争のことについて学んで、戦争は悲しみやにくしみなどしかうまず、あとにはなにものこらないということを学んだ。そのような戦争がいまもなお世界のどこかで、おこり、人がなくなり、悲しみやにくしみがうまれ、それがずっとくりかえされている。それがつみかさなったら、静岡でおきたB29爆撃機による大量の焼夷弾の空爆や広島の原爆みたいになるかもしれない。私はそんなことはもう2度とおきてほしくないと思っている。子供は子供らしく遊び、学び、おいしいものをすきなだけ食べれて、戦争とは無縁の世界になってほしい。私はそんな平和をねがっている。」

「1つの戦争に日本が国中がだいぶ必死だったと思う。誰も止める人がいない残酷な世界の中、学生や子供、一家の主人、妻までのせられて、戦地に行きたくない人、働きたくない人、大勢いるはずなのに意見をかみ殺して、まっとうした本当に辛い出来事だと思う。そして今も住んでいる平和な静岡がこんなに危険になっていたと思うと、怖くなる。爆弾が空から降ってきて、焼け野原になっていたとは想像もつかない。自分のひいおばあちゃんが今100歳で当時16歳だったからこれを経験したと思うと苦しくなる。」

3年 杉山 瑛太さん

「戦争について詳しく知らなかったけど、授業で戦争について学び、誰もがつらくて、悲しみが絶えなかった戦争だなと思った。勝つために学生たちが工場で働いて、物資がだんだんと不足し、生活品の質が悪くなったり、食事も3度とれず、栄養不足な食事だったりと国民はたくさん我慢をしてきたということを学び、僕ならこの生活にたえることができないと思うほど、苦しい生活を送っていたことが分かった。日本軍も、特攻隊や戦争でたくさん命を落としてしまっていて、軍人の家族やその知り合いの人とかもたくさん悲しんだと思い、僕も学んでいてとても辛くなった。
静岡やいろんなところで空襲に会い、空からたくさん爆弾や焼夷弾が落とされてとても怖いことだと感じた。それで子どもや大人などたくさんの人が命を落として、家も燃えてしまったら、たくさんの人が絶望したと思った。
だけど、このような悲惨な出来事を受けて、もう戦争はしないと誓った人々には感謝しかないなと思った。このことを後世に語り継いで、世界中に発信してくれたおかげで、各国で戦争をやらないとなったのは、日本の人々のおかげだなと思った。今、こうして平和に生きていることができるのは、戦争を経験した人たちのおかげです。
亡くなられてしまった人々のご冥福をお祈りします。」

お問い合わせ

市民局市民自治推進課自治活動支援係

葵区追手町5-1 静岡庁舎新館15階

電話番号:054-221-1265

ファックス番号:054-221-1538

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