駿府城公園の整備について 印刷用ページ

最終更新日:
2015年3月26日
 明治維新後、市施行に伴い駿府城跡の払下げを願い、明治24年に払い下げを受けました。その後、陸軍34連隊誘致のため陸軍省に献納しました。戦後、再び払い下げを受け昭和24年、中央公園として都市計画決定を行いました。昭和26年には市民アンケートで名称を「駿府公園」と改め、駿府会館、児童会館をはじめ都市公園として整備を行い、多くの市民の憩いの場として利用されてきました。昭和58年には駿府会館跡地から中世頃と思われる遺構が発見され、発掘調査を行った結果、駿府城の天守台と思われる石垣が発見されました。昭和60年には、市内在住の個人より「駿府御城内外覚書」の古文書が提供され、平成元年には巽櫓が完成しました。平成3年には駿府公園整備計画を策定し、順次整備を進めています。

駿府城の歴史

 駿府が最初に発展を見せるのは、駿河国の守護であった今川氏の町としてで、15世紀の末から16世紀のことである。その後、武田氏の支配の時代を経て天正10年(1582)には徳川家康公の支配する所となり、同14年以降家康公の五箇国支配の拠点となった。家康公は天正13年から城の経営を始めているが、本格的に城の普請が行われたのは「家忠日記」等によれば、同15年からで、同17年にはひとまず完成したと同記は伝えている。家康公は天正18年には江戸に移り、その後に入った中村氏も関ヶ原の戦の後、米子に移され続く内藤氏は、駿府家康公が隠居地となる慶長11年(1606)までの城主であった。
 家康公は慶長10年に将軍職をその子秀忠に譲り、同12年には隠居地と定めた駿府に新たに城を築くこととなった。「当代記」や「徳川実記」等によって普請の経過をみると次の通りである。
 
慶長11年(1606) 3月20日 家康公隠居の地を駿府と決める
慶長11年(1606) 4月28日 万石以上の衆は明年駿府城の助役が予定されているので伏見城の助役を除かれる
慶長11年(1606) 10月6日 家康公城地を決める
慶長12年(1607) 正月25日 奉行任命 助役に人夫を課す
慶長12年(1607) 2月17日 普請始まる
慶長12年(1607) 3月25日 畿内等へ500石につき人夫3人を課す(500石に1人ともいう)
慶長12年(1607) 5月23日 本丸経営始め、天守台の基石初めて置かれる
慶長12年(1607) 7月3日  落成、家康公移徒
慶長12年(1607) 8月15日 二ノ丸未だ成らず
慶長12年(1607)12月22日 失火焼失
 
 家康公は直ちに再建に取りかかり、翌年の3月には早くも御殿が落成した。
このたびの造営の経営は次の通りである。
 
慶長12年(1607)12月29日 再建のため京から工匠達が雲霞のように駿府へ下る
慶長13年(1608) 正月    再建のため人夫を集め材木を切り出すことを命ずる
慶長13年(1608) 2月14日 本城上棟
慶長13年(1608) 2月    青山重成に監督させる
慶長13年(1608) 3月3日  御殿瓦白蝋葺で成る
慶長13年(1608) 3月11日 本城落成 家康移徒
慶長13年(1608) 8月18日 大工中井正清行賞  
※行賞…功績に対して賞を与えること
慶長13年(1608) 8月20日 天守上棟
慶長13年(1608) 11月   この頃普請続く
慶長14年(1609) 6月1日  女房局失火
慶長15年(1610) 10月9日 厨失火、幾棟か焼ける
慶長16年(1611) 8月16日 書院を立て替える
慶長16年(1611) 9月14日 料理の間竣工
寛永12年(1635)12月29日 延長焼失 堅石御門・二の丸冠木門が残る
 
この度は造営を特に急ぐことはなく、造営の経過は次の通りである。
寛永15年(1638) 6月9日  助役・奉行を命ずる
寛永15年(1638) 7月11日 作事奉行駿府へ
明暦2年 (1656)8月~9月  台風による破損修築
元禄4・5年(1691・2)    奥向御殿取壊し
宝永4年(1707)  11月  三の丸石垣修理
宝永6年(1709)  11月  本丸・二の丸石垣修理
宝暦2年(1752)~9年    修理
宝暦7年(1757)  4月~5月 二の丸・三の丸石垣修理
宝暦8年(1758)  正月23日 修理のために見分
宝暦9年(1759)  5月晦日  石垣修理
明和元年(1764)  4月29日 修理終わり行賞
安永5年(1776) 11月30日 内外修理終わり行賞
文化元年(1804)~       石垣修理
天保8年(1837) 12月27日 塩硝屋修理終わり行賞
天保11年(1840)12月29日 櫓、多聞修理終わり行賞
嘉永5年(1852) 3月10日  天守台石垣他修理の見分始まる
 
以上のような経過で明治維新を迎えている。
(「駿府公園巽櫓建設調査報告書」より)
 

駿府公園整備計画について

駿府公園整備計画平面図

 本市では平成3年に策定した基本計画に基づき、「歴史遺産の保存・再整備」と市民の憩いの場や大型イベント会場としての「都心の公園機能の強化」、防災へリポートや災害時の受援施設、避難広場としての「防災機能の確保」の3つを基本方針として整備を進めています。
 これまでに、巽櫓(たつみやぐら)、東御門(ひがしごもん)や紅葉山庭園などが完成しました。平成20年3月に坤櫓(ひつじさるやぐら)石垣、平成21年3月には富士見芝生広場の整備が完了し、全体の約40%の整備が進んでいます。現在、第4工区の整備を進めています。

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