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更新日:2024年2月15日

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4 曹洞宗如仲派龍泉院

A構成・特徴・状態

井川本村の山手にある龍泉院は、山中まれにみる挌の高いお寺で、末寺が9つもあった。裏手には龍泉院の開基、安部大蔵の墓がある。大般若経600巻や、徳川家康の茶壷などを所蔵している。
【状態】住職は漣徳潭さんであり、管理もよく、保存はしっかりしている。
石段を登ると、山門があり正面が本堂。左手に鐘楼があり毎日夕刻になるとその鐘の音が谷に響き渡る。

B周辺環境・C価値

【価値】
子供のない人が、この観音さまを拝んで子宝に恵まれたと今でも大変な人気で、ここを訪れる人が後をたたない。永禄(1558-69)のころ、井川の殿様〔安倍大蔵尉元真(もとざね)〕は、今川家に仕えていた。ところが永禄12年(1659)、武田信玄によって駿河が攻められると今川氏真〔今川家10代〕は敗れて掛川に退いた。今川家臣の岡部正綱兄弟と安倍元真、息弥一郎信勝等が籠って防戦した。流石の信玄もその武勇に感心して、臨済寺の鉄山和尚を仲介者として講和した。岡部は武田家臣となったが、安倍親子は井川に引きあげた。
武田は井川の田代・小河内の郷民に安倍を討ち取るよう命じ、郷民は一揆を企て安倍氏の陣営に夜襲をかけた。安倍は一時山を下り、遠州に走って徳川の家来となった。安倍は徳川に支援され、再度井川を治めた。その後の安倍は、武田の山城や砦を落とし、その功績によって家康から「有度郡八幡村・中田村・宮竹村・益津郡焼津村・田尻村・矢久次村・志太郡梅地村・安倍郡井川七ヶ村・遠江国千頭・利果・大間・鷺坂村」を賜わり、この地方生え抜きの豪族として活躍した。安倍大蔵は駿府城下町に屋敷を与えられた、それが現在もある「安倍町」の町名の由来である。

D場所

【位置】井川本村の山手に位置する。
【GPS】北緯35度13分17.433秒、東経138度14分15.530秒

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