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更新日:2024年3月6日

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駿府城跡・駿府城跡天守台発掘調査

徳川家康は将軍職を秀忠に譲り、駿府に移り住みました。慶長12(1607)年、家康は、輪郭式で石垣を廻らせた3重の堀を持ち、本丸の北西には5重(または6重)7階といわれる勇壮な天守を配置した城を全国の大名に命じて(天下普請)築城させました。
家康在城時の駿府の町は、江戸と共にいわば二元政治が行われていたため、政治、経済の中心地として大いに繁栄していました。家康の死後、城主となった忠長が改易されると駿府城は城代の管理となります。寛永12(1635)年の火災により天守等のほとんどの建物が焼失し、櫓、門等の建物は再建されましたが天守は再建されませんでした。以後、江戸時代の駿府城は、建物の規模も次第に縮小していくこととなります。
明治時代になると、陸軍歩兵第34連隊の誘致に伴い、本丸堀は埋められました。三ノ丸は官庁や学校などの公共用地となり、戦後、本丸、二ノ丸部分は公園として整備され、巽櫓(たつみやぐら)、東御門、坤櫓(ひつじさるやぐら)の復元もされ一般に公開されています。

 

巽櫓

巽櫓

 

 

駿府城跡天守台発掘調査について

駿府城では、天守が焼失した後は天守台(天守の下の石垣造りの土台)だけが残っていましたが、駿府城が廃城になった後の明治29(1896)年に、天守台は取り壊され、その土砂で本丸堀が埋め立てられました。
静岡市では、かつて天守が建っていた跡地の整備方針を決定するため、事前に天守台の正確な位置や大きさ、石垣の残存状況などの学術的データを得ることを目的に、発掘調査を行うこととしました。発掘調査は、2016年8月に開始し、2020年3月まで掘削による調査を行いました。2020年4月からは、出土した遺物を整理し、2022年3月に報告書を刊行しました。

 

発掘調査の様子

 

 

見学ゾーン・発掘情報館きゃっしる

 

駿府城跡天守台発掘調査現場は、現場を常時観覧できる「見学ゾーン」、そして調査に関する基礎情報をわかりやすく展示している「発掘情報館きゃっしる」を併設しています。

きゃっしる外観

発掘情報館きゃっしる

天守台俯瞰写真

発掘調査現場俯瞰

施設ご利用案内

営業時間 9時00分~16時30分(最終入場16時00分)
料金 無料
休館日 年末年始(12月29日~1月3日)
アクセス

静岡市葵区駿府城公園1番1号

JR静岡駅より徒歩約15分

新静岡駅より徒歩12分

 

資料等ダウンロード用データ

駿府城跡天守台の発掘調査パンフレット

2016年から2022年の6年で実施された発掘調査を簡単にまとめたパンフレットです。

駿府城独案内(日本語版・English・中文・한국어)

駿府城の遺構を歩いて訪ねることができるよう作成した地図です。散策にご利用ください。

発掘調査現場リーフレット(PDF)

発掘調査現場でこれまでに配布した見学用のリーフレットです。

調査の概要(日本語版・English・中文)

発掘調査現場で配布している海外の方向けの案内です。

現場見学会資料

今までに開催した現場見学会の資料です。

シンポジウム「天守台と金箔瓦の謎に迫る」(令和3年6月12日開催)

シンポジウム「今川館の姿にせまる」(令和5年2月4日開催)

駿府城跡天守台野外展示事業への寄付をいただきました

駿府城公園(駿府城跡)では、2016年8月から6年間発掘調査を実施し、江戸時代初期と戦国時代末期に築かれた2つの天守台や大量の金箔瓦など多くの貴重な発見がありました。この歴史的価値の高い遺構・遺物を後世に残していくと共に、静岡市の魅力(観光資源)の1つとして多くの人に訪れていただけるように、保存と活用の両立に取り組んでおります。この事業にご賛同いただき、寄附をいただきました企業をご紹介します。

企業名: AMUSE株式会社(外部サイトへリンク)

企業名: 合同会社ラビッツ(外部サイトへリンク)

企業名: 株式会社Runways(外部サイトへリンク)

企業名: タレントスクエア株式会社(外部サイトへリンク)

企業名: 株式会社ユピテル(外部サイトへリンク)

本ページに関連する情報

お問い合わせ

観光交流文化局歴史文化課駿府城エリア活性化係

葵区追手町5-1 静岡庁舎新館16階

電話番号:054-221-1085

ファックス番号:054-221-1451

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