静岡市埋蔵文化財センター 印刷用ページ

最終更新日:
2015年3月26日

 毎年多くの遺跡の発掘調査が実施されています。静岡市埋蔵文化財センターでは、出土する数多くの遺物を貴重な文化財として有効に活用することを目的とし、整理・保管する施設です。また、収蔵品の一部を展示しており、静岡市の埋蔵文化財・歴史を学ぶこともできるようになっています。
 当センターは、井上馨候の別荘であった「長者荘」の跡地に建設されています。井上馨候に関連した歴史資料も多く所蔵しています。

埋蔵文化財センターの業務(出土遺物の整理作業と保管)

井上馨と長者荘

井上馨候 井上馨候

井上馨候と長者荘

 静岡市埋蔵文化財センターは、井上馨候の別荘「長者荘」の跡地に建てられています。

<生涯>
 天保6年(1835)11月28日、長州藩(現在の山口県)の武士の家に生まれました。世は徳川幕府末期。高杉新作らと尊王攘夷運動に加わりイギリス公館焼討事件に参加しました。その後欧米の力を知るため伊藤博文ら5名とイギリスに渡航しロンドン大学で新しい世界を見聞しました。(長州より渡英した5人を記念した「長州五傑」の碑が現在もロンドン大学に建っています)帰国後は開国論に転じ討幕運動に参加しました。維新後は新政府の要職を勤め、廃藩置県・地租改正に関与し、日本最初の伊藤内閣では外相として外国との条約改正に取り組みました。極端な欧化主義政策を採用し鹿鳴館設立の時代を生み出しました。黒田内閣の農商務大臣の時には大隈重信外相の条約改正に反対し内閣内で過激な活動を展開するなどの一面もありました。第2次伊藤内閣の内相・第3次伊藤内閣の蔵相を歴任し、第4次伊藤内閣退陣後に組閣命令を受けましたが桂太郎を首相に推薦し、元老として活躍しました。明治40年に侯爵となり、日本郵船会社・三井財閥・藤田組と密接に繋がるなど財界の大御所として強力な発言権を持ち政財界の黒幕として日本を動かす力を持っていました。

<長者荘での生活>
 明治22年、皇太子(後の大正天皇)が避暑のため清見寺に滞在し海水浴を楽しみました。その後、後藤象二郎・伊藤博文・井上馨(長者荘)・松方正義・西園寺公望(坐漁荘)など多くの政治家が別荘を建てたり宿泊するなど、興津は別荘地・避暑地として大変賑わいました。
 晩年の井上馨も明治29年(1896)に5万坪ともいわれる広大な敷地に別荘「長者荘」を建て生活していました。東京と清水との二重生活でしたが、病気療養等で長期間長者荘にて生活しました。大正4年(1915)に「長者荘」にて81年の生涯を閉じました。
 

企画展・体験学習

 静岡市埋蔵文化財センターでは、企画展や体験教室等を開催しています。
 平成27年度は7月19日(日)から8月16日(日)にかけて「平成27年度静岡市文化財展」を開催しています。
 詳細についてはこちらのページまたは「静岡市の文化財」の該当ページをご覧ください。

所在地

【住所】
〒424-0032
静岡市清水区横砂東町33番地2号

【電話番号】
054-367-9436

開館日時

【開館日時】
月曜日から金曜日 第1・第3日曜日 午前9時00分から午後4時30分

【休館日】
土曜日、祝日、年末年始 第2・第4・第5日曜日
※講演会等催事開催期間中は休館日が変更になる可能性がございますので、事前にご確認ください。

【入館料】
無料

【駐車場】
9台

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本ページに関するお問い合わせ先

観光交流文化局 文化財課 埋蔵文化財センター

所在地:清水区横砂東町33-2

電話:054-367-9436

ファクス:054-367-9436

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